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はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点にある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたはずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

はやぶさ初代が示した最大の成果は、国民と世界に対して、我々は単なる製造の国だったのではなく、創造できる国だという自信と希望を具体的に呈示したことだと思う。

自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論がある。しかし、はやぶさで刺激を受けた中高生が社会に出るのはもうまもなくのこと。けっして宇宙だけを指しているのではない。これまで閉塞して未来しか見ることができなかった彼らの一部であっても、新たな科学技術で、エネルギー、環境をはじめ広範な領域で、インスピレーションを発揮し、イノベーション(変革)を目指して取り組む世代が出現することが、我が国の未来をどれほど牽引することになるのかに注目すべきである。こうした人材をとぎれることなく、持続的に育成されていかなくてはならない。

震災の復興が叫ばれている、その通りだ。即効的な経済対策にむすびつかない予算は削減されがちである。しかし、耐え忍んで閉塞をうち破れるわけではない。

なでしこジャパンのワールドカップでの優勝、それは耐え忍んだから勝てたのか?そうではない。それは、やれるという自信が彼女らにあったからだ。震災からの復興を目指す方々に示すべき、もっとも大きな励ましは、この国が創造できる能力がある国だという自信と希望なはずなのだ。

日本は、お手本と格付けがないと生きていけないかのようだ。はやぶさでこの分野で世界の最前線、トップに立ったが、トップに立つとどうしてよいかわからなくなるのだろう。NASA も欧州も、我々を目指しているのに、なにか安定しない。進んでトップの位置を明け渡し、後方集団にうもれようとしているかのようだ。どうして2番ではだめなのか、この国の政府は、またも、この考えを露呈したかのようだ。トップの位置を維持し、独走して差を開いて行こうという決断を行うことに躊躇してしまう。世界の2番手にいて、海外からの評価と格付けに神経をとがらせるばかり。堪え忍べと叫び、自らの将来を舵取りするポリシーに欠ける。

なんとなさけないことか。次世代を支える若者が、この国の国民でよかったと感じられなくなるようでは、将来はない。

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元はやぶさプロジェクトリーダーの川口淳一郎氏の檄文である。

深く同意する。ただ、有限な予算だから、はやぶさ2を実行すると何かの事業をあきらめなければならないのも事実。難しいね。

後この文章に違和感があるのは、「次世代を支える若者」とこのはやぶさ事業を強引に結びつけて、日本人の数少ない夢と希望的な文脈で論じているところだね。「次世代を支える若者」については、「この国の国民で」あってもなくても、あるいは「この国の国民」であり続けても外国で活躍すればいいわけで、別に「この国」の将来と沈没する必要はない。

日本は日本人が支えなければいけないという浪花節というか、Not invented here (NIH)的強迫観念は軽やかに捨て去り、日本人じゃなくても人材活用する手段を見つけるべきだし、日本人であっても「次世代を支える若者」たちは国を超えて自分の活躍できるところで活躍すればいいと思うよ。別に日本が何番手であっても、自分が一番活躍でき、自分が面白く思い、人や自然に良い影響を与える仕事ができることが一番だ。

(via kashino)

(via kashino)